季節を問わずお気に入り — カーデガンみたいなはおりジャケット

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麻のはおりジャケット2

 

今夏縫ったジャケット二枚目。
「麻の縮みがポロシャツみたいになった不思議」と同じ麻の絣。
形は袖の長さ以外「出番多し、七分袖のはおりジャケットと全く同じだけれど、
この縮み生地はニットのような風合いがあって、柔らかいラインとなる。
8、9月と同布のフレンチスリーブチュニックとのセットで大活躍であったが、
10月になっても日中夏が戻ってきたような日もあって、なかなか片づけられない。
適度な温度調節用に、ふわっとしたカーディガン風はおりものとして、
もしかしたら長期間着続けるかもしれない。

着物のままであったなら、麻はせいぜい9月半ばまでしか着ない。10月になったら袷である。絹地の裏付の着物なんて、まだまだ汗ばむこの季節に着る気になどならないのだが、着物でこの季節に単衣の麻を着ていたらものすごく浮く。こういったところも、着物が現代の日常感覚と大きくかけ離れてしまっていることのひとつだろう。

現実に合わせて変えることのできないもの、それを伝統と言うのかもしれないけれど、実際の気候気温ではなく、カレンダーの季節とのマッチングのほうが優先されるのは、良く考えたらどこかおかしい。

もともとは季節に対する繊細な感受性や、粋(いき)という日本の美意識が根っこにあってのことだとしても、これでは着物はもはや、しきたりや決まりごとの枠からはみ出すことのできない、一個の行事だ。たぶん江戸の人が今の日本に来たら、昨日までの気温じゃ平気でまだ麻の単衣を着るんじゃないか。つまり、着物が日常に必要な「着るもの」だったとしたら。

 

話しは変わるけれど、記事と並行してジャケットの写真を取りながら、写真撮影の難しさをしみじみと実感した。壁にハンガーばかりでは撮るほうも飽きてくる。デザインによっては服のラインがきれいに出ない。着物リメイク販売サイトやそれなりに力が入っているサイトでは、みなボディに着せている。

私みたいな縫い方、つまり既存の型紙を使わず、実際体に当てて微調整しながら縫うような縫い方をするには、本当はボディがあったほうが良い。でもなあ…。その昔洋裁をやっていた先輩からボディを譲り受けたことがあった。普段はただ邪魔なだけで、いつ処分したか記憶はないが、置いておいたのはほんの短期間だった。それに、場所を取るのに加えて、あのフォルムがあまり美しくない。

段ボールで自作しようかとも考えた。が、そんなことが出来るだろうか。粘土細工のウサギさえものすごく下手くそであったこの私が(小学生のころのはなし)。

と、手元にボディに似た形をしたものが目に留まった。ちょっと新聞紙を丸めてガムテープでくっつけ、立体感を出してみたりして。それでも平面的であるのはアイロン台だからである。が、これなら場所はとらないし、当面これで行けばいいか…。

もう一つ難しいのが家の中で撮るにふさわしい場所がないということ。某サイトでは海をバックにボディを置いていたし、素敵な蔵の前で撮影しているサイトもあった。が、がんばってどこか景色の良いところまで出かけて行ったとしても、ハンガーとアイロン台ではどうしたって絵にならない。写真が課題と最初から思ってはいたけれど、ずっと課題のまま行きそうである。

 

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