ファーを使わないと宣言したのはGUCCIだったっけ?
前記事で触れたことだけれど、もしかして他のブランドだったかもしれない。
うろ覚えの記憶を確認すべく検索してみた。
記憶は正しかったのだが、何本か読んだ記事に違和感を覚えた。
同時に素朴な疑問も湧いた。
そもそもGUCCIは、全てのファーを使わないと言っているわけではない。
今後、よく使われてきたミンクやキツネ、ウサギ、アライグマ、カンガルー、カラクール(ヒツジの一種)の毛皮を製品や広告に使わない。ただ、6種以外の毛皮を使う可能性はあり、皮革製品の商品化も続けるという。
近年は毛皮や革を剝ぐために殺した動物は使わず、食用にしたものに限るなどと宣言するファッションブランドも増えている。
グッチ、6種の毛皮を使わない方針 ミンク・ウサギなど(朝日新聞 2017.10.14)
対応は2018年春夏の新作から。9月にはミラノで18年春夏コレクションが発表されているのだが、その写真を見ると、豪華な毛皮(風?)コートがある。すでにフェイクファーなのであろうか。
これまでに制作したものはチャリティーオークションにかけられ、「収益は動物愛護団体、国際人道協会(Humane Society International、HSI)とイタリア反生体解剖連盟(LAV)に寄付される」とのこと(AFP BB News 2018.10.12)。
9月のコレクションがもしリアルファーだとすると、制作時には脱・毛皮路線はまだ決定されていなかったのだろうか? あるいはそれを見越しての制作であり、発表だったのか。
いずれにしろ、オークションというところに違和感がある。オークションとは、競りにかけて値を釣り上げて販売するシステムである。豪華なファーコート、しかもGUCCI最後のリアルファーコレクションとなれば希少性も高い。ファンだけじゃなくて、お金の使い道に困っているような人や投機筋なども、競りに参加するかもしれない。話題作りの宣伝効果も大きい。
ファーの付加価値を否定する脱リアルファー宣言が、ものすごくリアルなファーの付加価値の上に乗っかっているというパラドクス。倫理やエコ重視でファーを使用しないと決めたのだから、過去の商品も販売しない、というのならわかる。企業にそんなことを求めるのは筋違いだというなかれ。チャリティーなんだから収益はなしのはずでしょ。
目的が食用なら残った毛皮利用はOK、というのも変な話だ。先月出かけたマルタはウサギ料理が名物だそうで、残念ながら食す機会はなかったのだが、そのうちマルタはウサギファーも産業になるかもしれない。許可されたファーということで。
しかるにこの論理、一瞬で破たんする。だったらキツネでもミンクでも食やぁいいんだろ、と、私が生産者だったら言いかねない。
毛皮反対のサイトも覗いてみた。反対の理由に、動物たちが残酷な方法で殺されているから、というのがあった。じゃあイスラムやユダヤの人たちのように、お祈りをしたうえで血を抜くなど、より人道的?な方法で殺処分すれば良いのか。
サイトにはご丁寧に、皮をはがれた動物の写真も載っていた。が、市場にぶら下げられた丸ごと一匹のウサギだって、私たちは同様に目をそむけたくなる(シチューになれば美味しくいただいたりもするけれど)。
残酷ということでは、モロッコの市場では生きたウサギが(ニワトリのように)食材として売られていた。えーっ!と一瞬思ったが、じゃあペットショップの狭いショーケースに押し込められているウサギはどうなのか。
そもそも愛玩用のウサギも食肉用のウサギもファー用のウサギも、飼育という段階でも、買われるという段階でも横並びにいるのではないか。共通するのは、みな人間の都合で飼われ買われているということ。不要になれば捨てられるという点でも同じ。
ファーはやめましょうと言うのならば、食用もやめましょう、と言うのが正しいような気がする。動物実験だけでなく、もちろん愛玩も(ついでにレザーも)。
そんな方々には、殺生という言葉と日本の精進料理を紹介したい。ただしこれは宗教だということを理解していただく必要がある。精進料理しか食べないのは宗教者だけであるということ。一般人は、洗練された料理の一ジャンルとして時々楽しむだけだ、ということも付け加えよう。
前記事で触れたイタリア人の友人は、毛皮に反対で、かつベジタリアンだった。筋は通っていた。彼女はダシに使う鰹節もいやなようであった。といっても日本でダシを避けて通ることは出来ないし、彼女もチーズと卵はOKなのであった。食べた後のウサギのファー利用はOKと、同じなような気がする。個人の(人間の)自己都合で基準線が引かれる点において。
でも彼女は、ほとんどのベジタリアンと同じく、他にそれを強要しなかった。私のファーのティペットも責めなかった。カトリックに生まれながらキリスト教に否定的だった。たくさんの国を回ったなかで気に入ったインドに暮らし、そのあとは亡くなるまでの19年間、日本に住み着いてしまった人だった。ひとつの宗教を絶対とするような価値観からは、身を置いていたのかもしれない。
GUCCIに戻ろう。GUCCIがファー離脱するのは、ある企業の方針として良しとしよう。一企業の社教(なんてものがあるとして)が無宗教から仏教に変わったとして、たとえばGUCCIがホテルに進出したとしても、レストランが精進料理になるくらいで、さして問題はないだろう。GUCCIでは精進料理にチーズも使いますといわれても、腐乳にすべし、とは言わない。粋なデザインの素敵なフェイクファーが、こなれた価格で買えるようになるのなら(私は買わない、というか買えないけど)、それも良い。チーズありのGUCCI風精進料理だったら、(無理すれば一度くらい)口にできるかもしれないし。
オークションはどうか。商品として市場に出せない、ファーに収益を求めない、というのなら、オークションや人道団体などという中間流通経路をはぶいて、直接寒さに凍える難民にファーコートを寄贈したらどうであろう。ゴージャスな総ミンクのロングコートなど難民生活に似合わないと言うだろうか。それとも、それでは限られた人しか暖をとれないと。
あのボリュームのあるコートは、いったい何匹のミンク? で作られているのであろう。あれをばらばらに解体して全てティペットにしたら、いったい何人の人の背なかと心が温まるであろう。ファーは耐久性や携行性でも抜群の素材であるし。
ファーは、首から背中が大きく空いたドレスで暖房のきいたパーティに出かける人ではなく、寒風の吹き込むテント暮らしの人にこそ、その素材力を発揮するのではないか。寒い我が家で毎冬ファーティペットの暖にお世話になっている身の実感である。
蛇足:
GUCCIのサイトでは、(まだ)ミンクファーのコートが売られていた。ウールコートより0が一つ多い370万円余り。オークションに何点出るのかわからないけれど、結構な値段にはなるだろう。やはり難民には、売り上げで毛布か、あるいはユニクロのウルトラライトダウンを買って送ったほうが良いのだろうか。
ウール30万円台のコートを買える人にも消費税分くらいの難民支援をお願いしたいけれど、300万台、それ以上をオークションで落とせる人には、次のようなお願いをしたい。GUCCI最終ファーコートは是非オークションで落としていただこう。その一着がウルトラライトダウン300着から500着になるんだったら、違和感より実をとろう。
そのうえで、落とした最新コートは着用していていただき、クローゼットにしまわれたままのミンクコートを二着ほど放出していただく。それを解体してティペットにして送る費用も是非。年に一二度しか出番のなかったミンクファーも、冬中たくさんの人のくびに巻かれて嬉しいんじゃないかと思う。
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