v-kimono

着物~ビンテージキモノ
~Kimono Remake

若いころにハマった着物、いつしか遠ざかってしまった着物、ビンテージ(アンティーク)キモノの面白さに、プロにワンピースやアロハシャツを仕立ててもらったこともあった。それもまた遠い昔のこと。

そんな忘れていたキモノリメイク熱が、ある日突然一枚の浴衣地で復活した。このたびはオリジナル&ハンドメイドでチャレンジ。一部簡単レシピも公開。[本文を読む…]

Open宣言:浴衣から始めよう

 

  • ハンドメイドと著作権
    04/17 2019

    ハンドメイドと著作権

    アニメなどの海賊版対策として国会で審議されていた著作権法の改正案、研究や忘備のためのキャプチャまで違法ダウンロードとする内容には、海賊版の被害当事者である漫画家や出版社ですら異を唱え、法案はお流れになった。 もちろん著作権は守られるべきだ。けれども保護に広い網をかけると、人の営みの重要な部分が委縮し、文化や芸術も硬直しかねない。ひとが何かをするのにも、何かをつくるのにも、模倣は必ず入り込むものだし。 そもそも既に出来ているものを「うつしとる」のは、ゼロからつくるより断然労力が少ない。専門テクニックもいらない。アレンジや発展も、スタートラインが高いと楽である。ハンドメイドの型紙も、市販品やリメイク本の付録を利用すればアマチュアでも楽勝。 でもそうやって作ったものを売ると、著作権等の違反になる場合がある。あれこれ眺めていたら、とても考えさせられる事例があった。特殊な刺繍を施した作品についてである。 Aさんは、サイトBで紹介されていたレシピで作った刺繍作品を、ハンドメイドサイトで販売していた。受賞したくらいだから、きっと優れた作品だったのだろう。ところがこのレシピ、実は全く別のCさんが考案したものだった。サイトBはCさんに断りもなくレシピを掲載していたのだ。 Aさんは作り方を問われ、自サイトでもレシピを公開してしまった。Bサイトで二次使用・商用利用OKとされていたことと、レシピを技法のひとつととらえていたこともあり、著作権には触れないと思ったのだ。それを当のCさんが目にし、クレームをつけた。 悪意はなかったとはいえ、自分が「盗作」していた(と非難された)ことがショックで、Aさんは受賞も返上し、自サイトからも関連投稿をすべて削除し、それどころかハンドメイドの制作販売もやめてしまった。同じ技法で同じモチーフでつくる以上、著作権に触れないものをつくるのは不可能だ(だから怖くてつくれない)、と(委縮そのものだなぁ)。 その決意表明のブログには、慰めや応援のコメントがたくさん入っていた。多くの人がこの極端な結論に心を痛めたのだ。CさんもAさんに、そこまでのことを求めたわけでもない。むしろ一人の作家の活躍の可能性を奪った結果に、謝罪の言葉を記している。 しかもである。Aさんが行ったことは、実は著作権違反ではない。技法やアイデアは著作権保護の対象ではないし、レシピに著作権が認められるのは、文章や作図やレイアウトに芸術的な作者固有の「表現」がある場合のみ。一般的なレシピは取説やマニュアルと同様の扱いなのである。 Cさんの非難も、モノを作って売る際のモラルを問うものであった。それでも、ここぞとばかりに出てくるバッシング輩も多かったのだろう、Aさんはモノ作りで一番大切なものを失ってしまった。つくりたい!という情熱を。 常々、オリジナルってそんなに偉いのか? 作家ってそんなに偉いのか? と思っていた。誰の作品も真似せず、どんな作品も参考にせず、もっと言えば、誰かにも何かにも微塵もインスパイアされず、己の力だけの純粋培養で作品はできるのか? ある作家が、それまでだれもやっていない技法や表現で作品を作れば、模倣されることを覚悟したほうがよい。ピカソの作品がキュビズムになったのは、多くの人が彼が切り開いた新しい表現に続いたからだ。これを「パクるな」と保護していたら、今日のピカソの評価は違ったはずである。 シャネルはコピーを意に介さなかったという。コピーが本物を超えられるわけがないという自信と、むしろ宣伝になるという読み(偽ブランドは著作権違反ではなく、意匠権と商標権の侵害)。 アニメ作品のダウンロードがシャネルの偽バッグと違うのは、デジタルデータが完全コピーである点である。本物と同じものがただで手に入れば、当然本物は売れなくなる。シャネルのように本物と偽物の購買層が異なることもないから、作家は食えなくなり、作品は制作されなくなる。ファンにとっては不本意なことだが、アニメも消費財と思っている読者はそんなことは気にしない。 (たとえ粗悪な偽バッグであっても)違法コピーがなくならないのは、それを求める消費者がいるからであり、市場の原理に従えば、消費者のマインドが変わらない限り違法コピーはなくならないことになる。 デジタル作品に関して言えば、正規でフリーもしくは割安に作品が提供され、作家には何らかの形で正当な対価が払われるなら、様子は変わるかもしれない。あるいはダウンロードフリーにして、その際広告収入が入る仕組みをつくるとか(そんな意見を新聞で読んだ)。この時代、著作権そのものについても問いなおす必要がありそうである。 話がごちゃごちゃしてきた。芸術作品とブランドとハンドメイド、デジタル品と物品とを同列においているからだ。一般的にも、違法性と「ルール」違反の違いが意識されておらず、そこに敬意やモラルがまぜこぜで語られていたりもする。 ハンドメイド販売で著作権違反を心配している方も多いだろうから、整理してみよう。手芸本の多くには、書籍及び付属物(型紙)の無断転載や複写は著作権違反である、と記載されている。リメイク作家のサイトには、著作権は自身に帰属する、と書かれていたりする。型紙販売では、商用利用禁止としている場合もある。 それで混同するんだけれど、ハンドメイドのほとんどは実用品なので、著作権保護の対象ではない。境界のあいまいな「作品」があるにしても、実用と機能を離れた高い芸術性がなければいけないとされる。ただし近年、純粋芸術という高いハードルではなく、「作成者の個性が発揮されているか否かを検討すべき」という判例も出たりしている(下記参考①)。 つまり厳密な線引きはできず、個別に判断するしかないわけで、だから著作権に触れる「可能性がある」ということになるし、ハンドメイドサイトも「危ないことはするな」と警告しているわけだ。 ちなみにアメリカでは、機能的・実用的なハンドメイド作品自体は著作権保護の対象外だけれど、実用性から離れた装飾部分のデザインや図柄には著作権が認められているという。 参考①:手芸作品及び手芸レシピの法的保護 ハンドメイドで気を付けなければいけないのは、むしろ実用新案権と意匠権、商標権ではないのか。以下には翻案権という聞きなれない権利も出てくる。コメントと回答も参考になる。 参考②:法律違反にならないでハンドメイド品を販売するには 前記の刺繍作家Cさんは、レシピはわが子のようなもの、それがコピーされて売られていくのはいやだ、と訴えている。個人で楽しむだけなら良いけれど、それで商売されるのは許容できない、ということだ。もしこのように商用利用されるのなら、個人の方向けにレシピを公開することもできない、とまで言っている。 コンピューターのMacとWindowsでいえば、OSをフリーで公開したWindowsがシェアを獲得した。複写や模倣OKは、普及、拡散で大衆化し、保護は一部の人の占有により高級化する。どちらの路線をとるかはビジネス戦略というだけではない。誰のためにつくるのか、ということと、技術や作品は誰のものなのか、ということもある。 Cさんは技法を(レシピも?)商標登録し、本を出し、キットを販売し、講座で教え、認定制度まで設けている(家元になっちゃったのね)。Mac方式をとったわけだ。レシピも技法も一部の愛好家の間で生き続け、師範認定されれば誰かに教えることもできるだろう。ただし商品として販売はできない(ライセンス料を払えば可能かな)。 ということは、この技法を使った作品を入手するには、本や講座やキットで自作するか、Cさんの作品を購入するしかない。自分では作れないけれど欲しい、でも作家ものは高くて手が出ない、という人は永遠にこの技法でつくられたものを入手できない(シャネルほどにブランド価値が高まれば、違法コピーが出てくるかもしれないが)。 ハンドメイドが苦手な人はけっこういる。入園入学の際に求められる「お母さんの手作りバッグ(袋)」も、時間がない、ミシンがない、うまく縫えない保護者(お母さんだけにあらず)にとってはものすごい負担で、だから近所の手芸店は春先、入園入学グッズの縫い子さん募集の張り紙を出す。注文をとり、各学園学校の指定に沿って縫わせるのである。 上記の刺繍も技法が解放されていれば、Cさんほどの「芸術作品」を作る作家の他にも、汎用品や普及品を制作販売する人も出てきて、市場は賑わったかもしれない。 個人的には、デザイン性の高いものをまるごと同じに作って売るのはいただけないと思う。違法でなくても、敬意やモラルや矜持の問題として。プロなら自分のセンスで勝負しなくてどうする、とも思う。 それでも、シンプルなトップスなど、自分サイズで適当に型紙を起こしても、結局ほとんど同じような仕上がりになる。「自分で型紙を起こせないようなやつは売る資格なんかない」というプロのパタンナーがいたが、私はそうは思わない。身に着けるものはアート「作品」ではない。通園通学グッズと同様、素材を加工し、求める人に届けるのは必要な役回りだ。使えるものは使い、そこに自分らしさを加えていけばよい。 このサイトでも「レシピ」を公開している。ダウンロードフリーである。公開した時は自作の販売もしていなかったし、そもそも著作権を主張できるほど「芸術的」なものではない。それこそ機能的実用品である。ちなみに当サイトで一番アクセスが多いのはこのレシピページである。 素材の着物については、とてもオリジナルだと感じている。でもこれらの着物を織った人も染めた人も、自分を「作家」だとも思わなければ、完成品を「作品」とも考えなかっただろう。彼らの職人仕事に、その無名性に、感謝と感動と敬意を覚える。 大衆のものであった着物(=実用品)が大衆のものでなくなった今、着物の大衆化がリメイクだと思っている。だから私はむしろアンチ「作品」、アンチ「作家」。自分のことは、強いて言えば媒介者、あるいはアレンジャーか。 ほどいて何枚かの布になった着物を眺める。どうリメイクすると眠っていた着物地が目覚めるのか。頭のなかに凝ったデザインはない。着物がそうであったように、シンプルな形が一番着物が生きるような気がする。むしろ考えるのは縦横斜め&裏表。 私の目標は、オリジナルの素材の素晴らしさがよみがえり、更に、和(着物)というイメージや制約を超えた何かが生まれること。日々の暮らしに着物リメイクが当たり前の顔で溶け込んで、生き続けて、ほんの少し身に着けた人の気分が良くなったりしたら嬉しい。デザインもパターンも、そのための一手段でしかない。 それにしても、とあらためて思う。技法は誰のものだろう。アイデアは誰のものだろう。完成した「作品」は、誰のものだろう。 ものを書いたり作ったりしていて、私は自分の「作品」をわが子のようには思ったことがない。子供だって親に属する所有物ではない。作者や親の手を離れたとたん、彼らは皆独立した一個の存在になる。あるいは「みんなのもの」になったりする。 昔書いたものを読むと、自分が書いたと思えないことがある。何かに書かされたみたいに。あるいは勝手に生まれてきたみたいに。書くという、実用や機能を離れた行為においてすら、自分は媒介者だと思うのである。  
  • 縦のものを斜めにしたら 粋なネクタイ  出来上がり!
    03/28 2019

    縦のものを斜めにしたら 粋なネクタイ 出来上がり!

    ネクタイを縫ってみようかなと、ふと思った。 最初は紺ベースの縦縞を選んだ。ちょっと綿のようにも見える薄手の紬で、ダンガリーっぽい風合いなのに、品の良い控えめな光沢もある。縦縞に横に白いラインが入っている。これを縦でも横でもなく斜めにする。   自作派男性に感心しながら試作~完成まで 試作はダウンロードフリーの型紙を利用した。この型紙作者は作り方も公開していたので、それに従って縫ってみた。芯は手持ちの接着芯で、全てミシン縫い。 この男性、自分の仕事にぴったりの柄のネクタイが欲しい、という一心で自作に至り、型紙と作り方を公開している奇特な方。宇宙や天文で教壇にたっているので、星や惑星柄のネクタイが欲しかったのだという。 ネクタイの作り方(型紙無料ダウンロード) 今回調べていて、ネクタイを自作している男性が結構いることを知った。現物をばらして型紙をとり、縫い方を研究している。ある方は、最初はノーマルなネクタイから始まり、ついにセッテピエゲという高度なワザのネクタイまで縫うようになってしまった。しかも手縫いで。 ひたすら感心。 話は戻って最初の一本。薄くて軽い仕上がりで、本格っぽくはないものの、かえって締めやすそう。これもありだろうけれど、商品としては気が引ける。夫の古いネクタイを解体し、その芯で二本目を試作。今度はしっかりとしたネクタイになった。 専用の芯をネットで購入。売り物になるまでは何本か縫わなければいけない。カタカタちくちくとほぼ毎晩縫った。手縫い+一部ミシンの組み合わせでK’sの完成形ができた。   驚いた! 着物がこんなにネクタイにハマるなんて ネクタイがスカーフやリボンと違うのは正バイアスであること。布目に対して45度に裁断しなければいけない。 縦が斜めになると、縞はレジメンタル(風)になる。最初の一本だと、斜めに走る黒紺グレー赤に90度の角度で白のラインが交差する。縦に細長い幅5~9センチの面積に、布地の模様が凝縮される。 驚いた。縦縞とも横縞とも違う表情が生まれている。広い面積で全身を覆う着物の一部を狭く細く切り取っても、本来の縦を斜めにしても、着物地の魅力が全く損なわれない。どころか、むしろその魅力が鮮明になっている。 バイアス裁断は、ネクタイが適度に伸びて締めやすく、かつノットをゆるみにくくするための製法だけれど、斜めにカットされることによって、狭い面積ながら縦の模様と横の模様がまんべんなく、バランスよく切り取られることになる。模様が斜めに流れるのも、小さな面積にダイナミックな動きを出すのに成功している。 斜めってすごい!で、また着物地が、この斜めに生き生きと答えてくれることに感嘆!手持ちの着物地を見る目が一気に「ネクタイ目」になった。これはどうだろう、あれはどうだろうとうずうずして、気が付けば(試作・モニター用以外に)模様違いの11本が出来上がっていた。   「和」を超えた着物柄と織りの個性 着物地からつくられたネクタイは結構市販されている。西陣織りや友禅染の和柄が多い。どういう人が身に着けるのだろう。外国人受けをねらったものだろうか。桐箱入りのオーダーメイドネクタイなどは、また違う特別感を提供しているのだろう。 かと思うと、着物産地でネクタイに特化して織られたものもある。たぶんネクタイ用の幅で織られているのだろう。柄は若干の和テイストを残しながらも、既成のネクタイ生地に限りなく近い。 そこには、ネクタイはこういう柄や織りのもの、という固定観念があるようにも思える。どうやら日本の着物ネクタイは、一方はいかにもな和柄と、他方は締めやすい定番ネクタイ織り柄の普及品と、二極分解しているようである。 私が着物地で縫ったものは、この間にいる。もともと”「和」にとどまらない” 着物ばかりを集めていたのでこてこての和柄はあまりないものの、まさかネクタイなんぞになるとはどの着物地も思っていなかった、ネクタイ柄の定番からは少し離れたもの。 縞や格子やドットや小紋などはネクタイ用としてもグローバルな柄模様で、それでもネクタイ用はあの面積を想定して織られている。けれども着物地は違う。 なのに、全く想定されていなかったネクタイに、これらの着物地が水を得た魚のようにハマるのだ。たとえばお召の一種で縫った三本。高級な織りの着物として一世を風靡したのに、いつかほとんど生産されなくなってしまったお召。おしゃれ着として工夫を凝らした色柄模様に面白いものが多い。 スモーキーピンクと赤とグレー濃淡の迷路模様は、中でも一番のお気に入り。黒のジャケットにあわせれば、胸元が一気に華やかになって、でも甘すぎず、渋い大人の味わいもある。ネクタイのジャガード織りと違ってピカピカした光沢がないのも良い。どうだ、こんなの定番ネクタイにはないだろう!?  >K’s Remake.shop>ネクタイ :ただいま四本のみ(残り四本出品準備中)   赤のレジメンタル風もいいなあ。綿の普段着の着物なのに色合いが絶妙。アメリカの政治家の制服みたいな赤ネクタイ、日本で締めている人をほとんど見ない。でも、赤もこんな落ち着いた色合いなら一味違う。軽くて、ナチュラルで、素朴な風合いもあって、とても好もしい。 と自画自賛ばかりでは仕方がないので、何本か友人に見せた。見たとたんぱっと赤の縞を手に取り、夫にと即買いいただいた。普段ネクタイをしない人だからこんなのが良いのよと。お似合いだと私も思ったし、ご本人にも「ひとめで気に入った」とおっしゃっていただけた。とっても嬉しい。   ネクタイを贈るってどうなんだろう… 今回出品しているのはハンドメイドのモールと自サイトで、おそらくネクタイを求める男性が検索一発でたどり着く場所ではない。だいたい「ネクタイ」&「着物リメイク」なんて検索ワードに入れないだろう。とすると、ハンドメイド好きで、かつ着物リメイクに興味を持つような女性に、プレゼント用に買っていただくしかない。 ここで疑問が二つ。男性はネクタイを贈られてうれしいだろうか? そして、何故着物リメイクのネクタイがオンラインショップにあまり出ていないのか? ズバリ、「皆さんバレンタインにネクタイを贈られてうれしいですか?」 という質問コーナーがあった。答えはいろいろ。 趣味じゃないのを贈られたらかえって迷惑、自分のセンスも試されるのでやめておいたほうが無難、一緒に店に行って買ってあげるのがおすすめ、という人もいれば、好きな彼女から贈られたらめちゃくちゃ嬉しい、大事な仕事のときの勝負ネクタイにする、何本あっても困らないものだからありがたい、という人もいた。 先日、知人がおいしいワインをご馳走してくれるというので、ネクタイを持参した。最近こんなことやってるのよ、という話ついでに。翌日、さっそく今日締めています、自分では選ばない柄なので新鮮です、とメッセージ。そうか、そういう視点もあるのか。 二つ目の疑問。考えられる理由は、作るのが面倒なのに売れないから。 正バイアスのカットは気を使うしテクも必要。しかも、着物は反物の幅が狭い。ネクタイ用の生地は幅が50cm、長さは65cm必要である。これを大剣先と小剣先、中はぎと三枚にカットしてはぎ合わせる。着物でも幅38cmあればなんとか一本(若干短め)作れるけれど、古い着物は幅が足りない。水を通して縮んでいるものも多い。 結局ほとんどのネクタイを、私は4枚はぎで作った。ノットに近いはぎ目は目立たないよう柄合わせも必要で、結構時間がかかる。おまけに、布地を斜めに使うネクタイは、小さな面積なのに分量がかなり必要で、かつ三角の使えない端切れがたくさん出る。限られた着物地の(希少な着物地であれば余計)有効活用には不向きである。 それから「和」のイメージの強さ。和柄は(特に若い)男性にはあまり人気がないだろう。確かにビジネススーツには合わない。つまり、マーケットが狭い。 では贈る側からするとどうだろう。就職祝いやバレンタインにリメイク品を選ぶだろうか? やはり新品のブランド品が候補だろうか。 ただし、メルカリの躍進もあって、消費者の感覚は変わってきていると聞く。リユースに抵抗がない。アンチ大量生産&大量消費意識もある。加えて「いくら安くても、他人と一緒の服は欲しくない。古着とかこだわりのある一点モノを買いたい」という声もある(日経「リユースの騎士たち」シリーズ(3)から)。 ということは、着物リメイクのクオリティーやオリジナリティといった価値を、ネクタイにも認めてくれる人たちはいるということ? でも少数だろうなぁ。   セミセッテピエゲにたどり着いたけれど… 手作りこだわり派男性に刺激され、セッテピエゲを縫ってみたくなった。セッテピエゲとはイタリア語で7回折るという意味。ネクタイはスカーフ状のものを折りたたんで細くし、首に絞めたのが最初のかたち。本格を求めるしゃれ者に人気の原点回帰ネクタイがセッテピエゲなのだ。 我が家にはもちろんない。周囲に持っている人がいても、まさか解体させてくれとは言えない。フィレンツェの有名店タイユアタイのものは3万円ほど。オークションやメルカリを漁ったけれど、やはりお高め。 なかに、セッテピエゲとしてブルガリのネクタイが解体値段で出ていた。タイユアタイのものとは微妙に違うような気がしたけれど、ブランドものネクタイも勉強になるだろうと購入。 届いたものは確かにブルガリではあった。けれども芯が入っていて裏地もついている。本来のセッテピエゲにはそのどちらもないはず。一枚の布を手縫いで端処理してネクタイの形に折り込み、裏の中心部分を手縫いで止めていく。 締め心地はふわっとしていて、ノーマルネクタイとは全く違うとのこと。写真で見てもかっちり感がなく、絞めたときのやわらかさを想像できる。このセッテピエゲは縫うのに高い技術が必要で、技術者は限られているという。 これは独学ではなかなか難しそう。いつかチャレンジすることにして、とりあえずはブルガリから型紙を起こし、何本か縫ってみた。裏地にも表と同じ生地を使うこともあり、布地はノーマルタイの1.5倍ほど必要。 完成品、表から見たかんじではノーマルタイとの違いはよくわからない。正統セッテピエゲとは異なる(市場ではこれもセッテピエゲとして売られているが)と思うので、セミセッテピエゲと呼ぶことにした。 正統版だと結ぶのにコツがいるようだけれど、芯が入っていればノーマルと同じで、でもセッテピエゲの特徴である軽さと柔らかさはなくなってしまう。余分に布地を使って作る意味はあるだろうか。裏地に凝ったり、見えないところに贅を凝らす着物の心意気に通じるものはあるけれど。 たどり着いたものの、今後も楽しい面白いだけで続けられるかは、あまり自信がない。いずれにしろ、出来上がった11本はすべて一点ものにしようと思っている。世界に一本だけのネクタイ。撮影する前に締め手の手にわたってしまった、既に幻の一本もある。                       参考サイト: 知らないと恥ずかしい ネクタイの起源と歴史 タイユアタイと西陣のコラボレーション  
  • フォーマルに何を着る?– 20年ぶりに出番がまわってきた縫い取りお召
    01/09 2019

    フォーマルに何を着る?– 20年ぶりの出番だよ 縫い取りお召

    11月の終わり、不思議な役まわりで、パリに行った。 友人がどうしても行かなければいけないという主役で、彼女に請われて行く私はおまけ。 それでも主催者である美術館からはきちんと私宛の招待状も届いて、 そこには「カクテル」や「ディナー」のスケジュールと、横に「外出着」という文字。 ドレスコードを確認すると、「カクテル(パーティー)」より「ディナー」のほうをフォーマルに、でもワンピースでもOK、ということであった。ちょっとドレッシーであれば良いだろうと解釈した私に、友人は、「うちにドレッシングはあれとドレッシーはない」とうろたえ、一張羅の大島の訪問着を着ると言い出した。 そんなに気張らなくても、というか、着物・帯・草履他一式の重さと、着慣れない着付けの時間的ロスと、着ている時の肉体疲労と、どれひとつとっても旅先の着物は難儀である。しかも毎日冷たい小雨模様の寒い寒いパリ。 友人、最終的には黒の留袖ドレスを引っ張り出し、それでディナーを乗り切った。私はこのドレス。昔母にもらった着物をリメイク(オーダー)したもの。20年ぶりの出番となったロングワンピースである。ガーネットを帯びたワインレッドに銀(と少しの金)のぶどうの模様が織り出されている。葉っぱは銅の色。 長くこの着物地が何なのかがわからなかった。正絹だとは思うけれど、どういう位置づけの着物地なのか。着物のフォーマルは染めが一般的で、紬など織り(先染め)の着物はたとえ高価なものであってもフォーマルには着ない(とされている)。では刺繍のように模様が飛んでいるこの着物は、どんなシーンで着られたのだろう。 リメイクしたての頃、何の気にもせずにワイン好きが集まるパーティーなどに着ていった。それから着る機会もなく時を経て、知りたいと思ったときにはもう聞ける人はいない。その後、自分でリメイクするようになってからあれこれ調べて、縫い取りお召というものだとわかった。 お召というと経糸横糸に撚りをかけて織られる先染めの着物で、縮緬のようなしぼがあり(お召縮緬とも呼ばれる)、縞や幾何学的な模様が多い。ところがこの生地はすべすべとなめらかで、模様も大柄の小紋のようである。何故こんなに風合いが違うものがどちらも同じお召なのか。そのあたりは合点がいかないが、とにかく昭和30年代に大流行したもので、西陣で織られていたという。11代将軍の徳川家斉が好んで着ていたことから、お召と呼ばれるようになった、とどの解説にもあるけれど、それはしぼのある方だろう。 お召は附下や小紋と同じ「外出着」とされている。「外出着」とは礼装と準礼装の下、街着の上の格付けである。とここで、パリからの招待状の「外出着」も、この日本の着物のTPOを知っての上での指定からもしれない、と気づいた。であれば、「そんなにすごいフォーマル(礼装)でなくても良いけれど、少しおしゃれしてきてね」ということだったのか。 縫い取りお召はしぼのある縞模様のお召よりも、素材感でも模様でもずっとドレッシーである。ブラックパールのロングネックレスを合わせれば、ばっちりディナードレス。半世紀以上を生き延びてパリの舞台に立った母の着物。フランス在住の通訳さんが目に留めてくれた。少し前に母親を亡くし、受け継いだ着物がある、私もあれをドレスにして着たいと。 ちなみにシルバーに輝くパールは材料費2,000円のコットンパール。肩がこる重いネックレスがつけられなくなってしまったのと、旅先に本物を持っていく気疲れから自作したもの。この先これで充分だわ。 はおった着物用ショールも、母のタンスからの頂きもの。ベルベットという素材も、端のレースもゴージャスである。レースのすぐ上のあたりともう一か所にループとボタンをつけて、腕を通せるようにリメイクしてある。これで肩から滑り落ちにくいし、食事のときも邪魔にならない。室内では着物にショールは羽織らないだろうけれど、洋服だから関係ない。着物用ショール、使えます。 そういえば、ディナーの席に着物用道行コートをワンピースのように着ている女性がいた。フランス人か、もしかしたらアメリカの人だったかもしれない。ジャポニズム2018というイベントの一環なので、日本のものが好きな人なのだろう。スクエアネックの素敵なチュニック、と周りの欧米人たちも思っただろう。それでよいのだ。 友人のドレス悩みに少しつきあってわかったことがある。着物ドレスで検索すると、留袖や訪問着のドレスを扱うクチュリエやブティックが、つまりリメイクよりちょっと格が上よ、的なショップがかなりヒットする。これまでこの手のドレスをちょっと違うんじゃない?と思ってきた私、この度考えを改めた。 留袖のドレスを着るなら留袖をそのまま着たほうが良い、と以前は思っていた。でも、留袖も振袖も訪問着も若い時のものは着られなかったりする。あるいは譲り受けたり、アンティークで求めたものはサイズが小さすぎたり。で、仕立て代の高価なドレスを売るショップがこれだけあるということは、それだけ需要もあるということ。 パリで友人が留袖ドレスを着ることになって、同行お世話係の私は正直ほっとしたし、実際ディナーの席でも正解だと思った。中には着物を着ている一団もいて、彼ら彼女たちは華やかなオーラを放ってはいたけれど、場へのなじみという点では留袖ドレスのほうが合っている、と感じたのだ。 そう、TPOって場へのなじみってこと。つまり、それ以外の出席者の装いやレストランの雰囲気になじんでいるのが一番なのだ。訪問着や留袖は、男性だったらタキシードや蝶ネクタイ着用の場になじむ。当日の男性諸氏は普通のスーツ姿がほとんどであった。 着物の場合は、TPOつまり「格」がかなり厳格に決まっている。ただし、背中や袖につける紋の数とか、未婚既婚とかでも着られたり着られなかったりして、着物の「格」はTPOとは少し異なる決まり事であるが、私たちは着物の「格」をとっても気にするし、はずすのを恐れる。 なのに、洋服のTPOはあまり気にしていないように見える。というか、きちんと教えられるわけではないので、よくわからないままなのではないか。これは年代を問わずに感じることである。 イタリア旅行のプランニングをしていて、「少し高級なレストランに行く場合は、それなりにおしゃれをするとベターです」と旅行者にアドバイスしていた。するとほぼ必ず、「じゃあどんな格好が良いのでしょう」と返される。イタリアはそれほどドレスコードにうるさくないし、旅行者には寛容だからあまり気にすることはない。 「男性はジャケットを羽織り、女性は昼間より少しおしゃれにする程度でOK。でも共通することが一つ、靴はスニーカーではなく…」と続けると、「革のウォーキングシューズなら良いですか」と言われたりする。どうやらこの方は、高級な革靴ならどんなデザインでもフォーマルなのだ、と思っておられる様子。これが着物であれば、どんなに職人技の素晴らしい下駄でも、決して訪問着には合わせないだろうに。 それでドレスコードなど要求されると、「粗相があってはならない」と着物になる。着物が無い、自分で着られない、着たくない場合は、着物に準じた感覚で着られる着物ドレスの出番だ。重宝なことに、着物もリメイクドレスであれば、「格」のほうもかなり横断的になるので、TPOの幅も広がる。ここに着物ドレスの需要が確かにある。 特にこの縫い取りお召はドレスにとってもおすすめ。お召自体の「格」も小紋より上で幅広く着られるけれど、訪問着などに比べてこなれた、着やすい模様だったりする。シンプルなワンピースにするとキモノっぽさも抜けて(あか抜けて)、とても使い勝手が良い。ジャケットインにもぴったりで、一枚あるとなにかと便利。 と良いことづくめの縫い取りお召なのに、リメイクで見かけることはほとんどない。ヤフオクで見てもあまりヒットしない。お召(縮緬)であればけっこうあるんだけれど、しぼのある布地は水を通すと縮んでしまうので、リメイクにはあまり向かない。 なお、縫い取りお召の仲間?にマジョリカお召というものがある。十日町で昭和34年から4年間だけ生産された幻の着物ながら、一世を風靡するほどヒットしたとのことで、こちらはときどき見かける。マジョリカ焼きのような雰囲気、と説明される。多色使いかつラメ糸できらきらと織りだされたアラベスクのような模様は、確かにカラフル。ぼってりした素朴な味わいのマジョリカ焼きとはちと違うような気がするが、それはさておき。これなら手に入りやすいかもしれない(が、ピンと来るものがあまりない)。 ところで、同時期にもう一点オーダーで作ったワンピースも、縫い取りお召だった。ワンピースというのを着なくなってしまってタンスで眠らせている。リメイクしてもこれでは意味がない。丈を短くしてチュニックに、あるいはブラウスにするとか、リ・リメイクしようかと思いつつ…。   P.S. 洋服のドレスコードと着物の「格」はどのように対応しているのか、招待状にあった「外出着」はドレスコードでは正しくどれに該当するのだろう。フォーマルと一口に言うけれど、着物に礼装と略礼装(準礼装)があるように、洋服にもフォーマルとセミフォーマルがあり、その下にインフォーマルがある。 たぶん「外出着」が該当するのはこのインフォーマルであろう。対応表がないかと探したら、クルーズ船の解説ページがヒットした。インフォーマルの着物は、付け下げ、色無地、小紋(柄の格調が高いもの)、となっていた。ちなみに洋服では、男性はスーツにネクタイ、女性はスーツかワンピース、これだけである。 面白かったのは、カジュアルなクルーズ船とラグジュアリー船では同じドレスコードでも意味合いが異なる、と書かれていたこと。カジュアル船ではフォーマルでもそれほどタキシードは着ないが、ラグジュアリー船ではタキシード率が上がるのだとか。でもこれって、海の上のことだけじゃないよね。 いずれにしても、決まり事というのはうっとおしい。フォーマルやセミフォーマルについても、がちがちの決まりごとを言われるとそれだけでげんなりする。その「場」になじみ、かつ自分らしく個性的に楽しく装えて、あとはおしゃべりや食事にエネルギーを振り向けられるのが一番。「決まり事」を着るようなことは勘弁してほしい。 そうそう、「使える」着物ドレスには、縫い取りお召以外にも色無地もおすすめ。セットアップにしたり、コートドレスも良さそうである。
  • 迎春 2019!スワッグ to 干しレモン
    01/02 2019

    迎春 2019!スワッグ to 干しレモン

    暮れに突然思い立ってスワッグというのをつくってみた。 ただ束ねるだけだからリースより簡単。 材料は家のまわりにあるもの。 枯れた雑草や、捨てられていた枝とか、てっぺんには干しレモンを留めて。 今年はたくさん無農薬ほったらかしレモンが届いたので、塩レモン一年分に加えて輪切りを干してみた。 何にどう使うのかはあとで考えることにして。昼は太陽にあて、夜はエアコンの風の下においておくと、数日でからからになる。 以前イタリアのサルデーニャのどこかの(オリスターノだったかなぁ)レストランのテーブルに、オレンジの輪切りのひからびたのが飾ってあった。何と組み合わせていたのかは忘れてしまったけれど、からからのオレンジも良いなあと印象に残った。たぶん写真をさがせばあるだろうけれど(と探してみたけれど見つからず。残念)。 とりあえず、2019年年頭に。 今年が良い年でありますように…。    
  • ハイビスカスが元気です!
    11/09 2018

    ハイビスカスが元気です!

    3月だったと思う。それとも別の年の5月だったかな。 那覇空港からタクシーに乗ったら、街路にハイビスカスが咲いていた。 さすが沖縄、もうハイビスカスが咲くんだね、とつぶやいたら、 ドライバーに、一年中咲いてますよ、と言われて二度びっくりした。 それでも夏の花というイメージに変わりはなかったのだが、それがこの秋完全にくつがえされた。 夏の終わりに、蕾がいくつかついた鉢を買った。近所のスーパーの店頭で格安で売られていたのだ。季節が過ぎた売れ残りなのだろう。 ハイビスカスになど興味はなかった。あの真っ赤な色も好きなわけではない。何故買ったのかというと、(蕾みたいに見える)しぼんだ花がらの色がしぶい枯れたようなピンクで、こんな色ならハイビスカスも良いかもしれないと、ふと思ってしまったのだ。 楽しみに開花を待って、なあんだ、とがっかりした。一日花というやつで、気付いたときには咲き終わっていて、最初の花は見られなかったのだ。朝の苦手な私は(朝顔同様)きれいに咲いている姿を拝むことはできないのか。 次の日、午後になってもまだ咲いていた。が、また、なあんだ、と思った。普通の、定番の、お約束のハイビスカスのあの赤じゃないか。知らなかった。しぼんだ花の(裏側の)色は、咲いた花びらの色ではないのだ。 けれども、元気に咲き続けるハイビスカスにはある種の見事さがあって、二度のがっかりにもかかわらず、水やりが楽しくなっていった。不思議なことに、その後のハイビスカスは一日でしぼまず、数日咲き続けてくれる。そんなにがっかりしないでよ、ほら、私も二三日頑張るからさ、ということなのだろうか。けなげだ。 ラベルに10月には室内に入れろ、とあったので、残暑が終われば花も終わるのだろう、と思っていた。彼岸を過ぎた。まだ次々と咲きつづけていた。10月になった。変わらず。そして11月になってしまった。花は咲いてはしぼみ、花がらはひっそりと落ちて、そしてまた蕾がふくらんでいる。 花の終わりが部屋に取り込む目安と(勝手に)思っていたので、冷たくなってきた風に花びらが少し寒そうにしているのを見ながら、どうしたものかとタイミングを計っている。   初めてハイビスカスをベランダに迎え、一つの疑問が浮かんだ。この花がらを干せばハイビスカスティーになるのかしら。エジプトで買った、黒に近い色のカラカラの花がら状のハイビスカスティー。 試しに落ちた花がらを干してみた。いくら干しても細長いままで、記憶にある丸っこい蕾のような形状にはならない。エジプトのハイビスカスが違うのか、はたまたエジプトの太陽だとあのように短く干上がってしまうのか。 調べたらお茶にするのは観賞用のハイビスカスとは別の品種で、同じアオイ科の『ローゼル(Hibiscus sabdariffa)』というものらしい。しかもお茶になるのは花ではなく、赤いガクの部分だという。知らなかった。   お茶にならないとわかっても、相変わらずハイビスカスの花柄を干している。はらはらと花弁が散るのではなく、律儀にくるくると元に戻るように花が閉じて、閉じたまんなかにてんてんとおしべが覗いて、時間と共に枯れたピンクが枯れた紫に変色していくハイビスカス(の花がら)は、かさかさと音を立てる手触りといい、秋にふさわしい花(がら)のような気がする。 咲き終わってすぐはくすんだピンク、だんだん紫が濃くなり、最後は白っぽいくすんだ紫になる 真ん中の写真、黒っぽい物体がエジプト産ハイビスカスティー(もっと立派な形状だったのに、どんどん型崩れしてよくわからないシロモノになってしまった)   この花柄のような色の羽織りカーデガン風ブラウスジャケットをつくったのだけれど、アップできないままでいる。柔らかい綿で、着心地抜群。なんとかお披露目だけはしてあげたい。    
  • 着物の格子とタータンチェック
    09/19 2018

    着物の格子とタータンチェック

    着物の柄は実に多彩だけれど、伝統模様というより定番と呼びたいものがある。 ここでは格子について。   チェックと格子 格子(チェック)は世界共通の模様で、服地の世界でも定番である。なかでも、数種類の糸を交差させることにより組み合わせのぶん色の数が増えるタータンチェックは、繰り返し人気が浮上する、波のある定番模様である。今年はその波がまたやってきたようで、タータン模様が目につく。 これまでで大きな波はバーバリーだろうか。高校生が皆バーバリーのマフラーを巻いていた。ブレザーの制服にはよく似合ったけれど、制服だから同じでも違和感がなかったのであって、それがあらゆるところに溢れると、ちょっと食傷気味となった。 タータンの魅力は、複数の色の糸が織りなす華やかさだろう。たとえば6色の色糸を縦と横に繰り返して使えば、織り出される色は21色となる。 計算式:{X(糸の色数)+1}×X/2=織りあがった色数 タータンの定義は、ウールの綾織りであること、二色以上の色を使うこと、縦と横の糸の色と数が同じこと。このルールがあるおかげで、一発でタータンとわかる。 スコットランドがオリジナルのタータンチェックは、そもそも氏族によって色や組み合わせが決められていた。日本の家紋とは違って、本家と分家でも色模様が異なるという。一目でどこの氏族かわかるというのは、エンブレムや旗印だけより、戦場では役に立ったのだろう。 その後さまざまなタータンが生まれ、名前をつけられ、分類されている。今では「スコットランド・タータン登記所」に申請し、上記の三点の条件を満たし、オリジナリティが認められれば、独自の名前で登録できるという。 参考:タータンチェックの種類と魅力的な文化・歴史|スコットランド旅行記01   正方形と長方形 着物の格子もタータンチェックだよなあ、とひそかに思っていたのだが、残念ながら登録はできない。ウールの着物もあるけれどたいてい平織だし、二色以上の糸を使うという条件はクリアできても、ひとつだけクリアできないのが、「縦と横の糸の色と数が同じ」という一点ではないかと思う。手持ちの着物の格子柄を見ると、みな縦と横の糸の色と数が違うのである。 たとえば黒、黄、緑、赤の4色を縦と横にシンプルに繰り返した大島紬がある(写真下)。派手な色目で大島特有の光沢もあり、かなりインパクトのある格子である。ただし、色糸の重なりで色に渋さが生まれ、個性と落ち着きが共存している。着物地といわれなければわからないモダンさもある。この格子、縦と横の色の数は同じだけれど、糸の数は異なる。なので格子が長方形になっている。 もう一枚の紺地の大島もやはり4色の色を使った格子で、こちらもとてもモダンである。が、やはり縦と横の糸の数が異なるため、格子は長方形である。 正方形の格子もないことはない。江戸の役者名からきた市松模様というのがある。黒と白の市松などきっぱりとしていて、気こなしによってはとても粋である。けれどもこの市松も、着物になると(どうかすると)縦長や横長の長方形のくりかえしになっていたりする。日本人は正方形より長方形が好みなのだろうか。   リズム タータンを見ると、四角形の端正な繰り返しのリズムが目に心地よい。基調となる色が規則正しく四角を繰り返し、安定感、安心感がある。色の組み合わせで一発で氏族やブランドが分かるのも、すごいことである。 一発でわかるというのはそれだけ個性が強いということだけれど、それだけ規範が固定的に強いと、個性的だけれど平凡ということにもなったりする(バーバリーしかり)。そうなると端正な繰り返しは単調で退屈なくりかえしになり、リズムの強さの中に着る者の個が埋没してしまうようなことにもなる。 着物の格子も、一定のパターンに従って色糸が繰り返されているわけで、そこにリズムが生まれるのは同じだ。タータンと異なるのは、縦と横で色糸の繰り返しパターンが同じではない、ということだろう。 たとえば上記写真の紺の格子の大島の赤糸を見ると、縦と横で糸の本数・通し方が違う。色の並べ方の順番も、縦と横で同じではない。糸の数だけで正方形が長方形になっているだけでなく、色の並べ方でも方形の繰り返しのリズムは崩されている。 安定感がない、落ち着かない、というわけでは決してない。けれども、上から下まで同じ模様が、だーっと面積広く身の上を占有する着物には、端正で規則性の高いリズムより、おおらかでどこかに「破」のあるリズムのほうがなじむのかもしれない。 格子の着物から洋服へのリメイクは違和感なく行っているが、このたびタータンを眺めながら、タータンチェックは着物になるだろうかと想像してみた。帯だったらイケるかもしれない。でも着物は…、ちょっと難しそうである。市松もあるし、ウールの定番のような二色の格子もほとんどタータンなのに、なぜか伝統的な由緒正しきタータンは、着物に仕立てても着物になってくれないような気がする。   縦の線 ビビッドな赤の綿格子から、ラップスカートとボレロ、ミニトートを作った。    この格子を眺めていて気付いたのは、格子に通る縦の線である。 経糸は赤、黒、茶鼠(グレイがかったカーキ色)、黄、の四色であるが、横糸は赤と黒だけである。縦にだけ通る残りの二色のうち目に強く飛び込んでくるのは、糸のように細く黒に沿っている黄色ではなく、リボンのようにすっと伸びる茶鼠である。 横糸で格子をつくる黒の線も細く、従って地の赤に印象的なのは茶鼠の縦線で、格子というより、縞(ボーダー)の要素が強まっているのだ。 そういえば…、と他の格子の着物(地)もあらためて眺めてみた。藍に赤と黄色と白、ブルーと5色が使われている綿着物(写真手前)では、横糸には藍の地色の他は黄色しか使われていない。ここでは黄色と赤の線が縦にボーダーになっている。茜色と黒と白のウールの着物も同様で、黒は縦にしか使われていない。 格子の形の長方形も縦長だし、着物では縦の線が強く意識されていることがわかる。これもまた、袖も長く、帯から下も足先までひと息に長い、着物という形態と関係があるのだろうか。あるいは、長方形と同じように日本人の「好み」がそこにあるのか。 縦に線が通っている着物地は、リメイクで縦に使うか横に使うかで表情が異なる。それがとても面白いのだが、実は縦に通るラインは、格子や縞だけではなく幾何学模様や草花模様にもはっきりとある。 九鬼周造は、縦縞が「粋」であるのは重力にも関係があると書いているけれど(「粋の構造」)、上から下への(あるいは斜め下への)視線の流れが常に意識されているのが、日本の着物なのだろう。「和」からなるべく離れて自由にリメイクしたい私は、だから着物地を横に使うのが好きなのかもしれない。    

 

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