しばらく留守してました(マルタとローマに)

posted in: 雑感 | 2
carciofi
ローマ料理なのにユダヤ風カルチョーフィ(アーティチョーク)

 

しばらく留守してました。
シチリアの南、チュニジアの東。すっごく小さな国なのに(4つの島を合わせて東京23区の半分)、地中海クルーズでは必ずと言っていいほど立ち寄り先になっている、その名はマルタ共和国。ついでにローマも少し。帰国してからも別件に手足頭を取られていたこともあり、管理画面さえ開けずに二週間超。

 

さてと。アイキャッチはここでは初めての料理写真。何を隠そう、私はまともな料理写真が撮れない。いつも写真撮るのを忘れて食べ始めてしまい、あわてて途中で食べかけを撮るはめに。この一皿もしかり。でも、料理に対しては正しいアプローチなのではないかと思っている。

少し前のこと、地元のイタリアンで隣のテーブルにタルトゥーフォ(トリュフ)、それも白トリュフのパスタが運ばれてきた。おお!ゴージャス、香りだけでも漂ってこないかしらとちら見していると、男女二人はその皿を延々写真に撮っている。むらむらとパスタに成り代わって怒りが湧いてきた。早く食えってば。のびちまうだろうが! テーブルで削って振り掛けられたせっかくのトリュフも泣いているぜ!

トリュフは日本でも食べられるけれど、カルチョーフィにはまだお目にかかったことが無い。いや、カルチョーフィはありそうだけれど、ユダヤ風というのがね。アーティチョークは真ん中の芯のオリーブオイル漬けをよく前菜に食べる。あるいは、ガクを少し残してカットして、そのガクの間に詰め物をしてオーブン焼きにしたり。ガク付でゆでた場合は、ガクを一枚ずづ、芯に近いあたりをかじるようにして食べる。シチリアのモディカという町で出てきた丸ごと炭火焼アーティチョークも、手を真っ黒にしながらガクをはがし、根元を食べた。

ユダヤ風というのは、さすがに先端は切り落としているけれど、ガクの半分(三分の一?)ほどを残したまま素揚げにしたもの。味付けは塩とオリーブオイルのみ。このシンプル勝負の一品が、この度のマルタとローマの旅のベストワンであった。ガクまでバリバリと丸ごと完食。

 

昔からイタリアにはユダヤ人が住んでいて、今も各地にユダヤ人街が残っている。そもそもゲットー発祥の地はヴェネツィアなのだ。本島サンタルチア駅にもほど近い一角に、他の街並みよりごみごみとした、各階の天井の高さも他よりも低い、つまりそれだけ一つの建物にたくさんの家屋がおしこめられた街並みが残っている。ナチス・ムッソリーニ時代の北イタリアには絶滅収容所もあった。

ローマにもテヴェレ川近くにユダヤ人街はあって(コミュニティー形成は紀元前の古代ローマ時代にさかのぼる)、シナゴーグが博物館として一般公開されているし、ユダヤ料理のレストランは地元の人や観光客でにぎわっている。といってもローマでは周囲の街並みに溶け込んでいて、何も知らない観光客はそれとは気づかないまま通り過ぎてしまうだろうけれど。

何年か前のローマで、ユダヤ博物館に行く予定をたてていたのだが、アクシデントがあり叶わず。それでもユダヤレストランでの夕食には間に合った。3月の半ばくらいだったかな。あの時のユダヤ風カルチョーフィより、季節が良かったのか、今回食べたほうが何倍も美味しかった。

ちなみに写真の店(Ristorante Terme di Diocleziano)はホテルで教えてもらったローマ料理店で、ユダヤ料理店ではない。なので生ハムも食べられる。駅からも近いし、夕食も18:00からと、イタリアにしては貴重な日本人向けオープンタイム。ということは観光客向けの店か? と思いきや、イタリア人客の評判もまあまあ。このときは一人だったので限られた料理しか食べられず、だからまた行ってもイイかな、という店である。

 

旅のメイン、初めてのマルタの話しも少し。ほんとうにシチリアから目と鼻の先なのに、カラバッジョ最晩年の傑作、聖ヨハネの斬首を見るためだけにでも行きたいと思っていながら、なかなか行けなかった。やっとその気運が高まり、どうせならと6泊することにした。これくらいあればまあ満足するだろうと。ツアーではマルタはせいぜい3泊くらい。それ以上だと、たいていイタリアとの組み合わせになる。

行ってみないと分からないものだ。なんと6泊では足りなかったのだ。二か月前から予約しないと入れない地下神殿とか。この神殿、現地に行くまでさして気に留めていなかったスポット。ガイドブックは行きの機内で読む派なので、大枠は決めてはあっても、詳細は前日の夕食時にワインを飲みながら詰める。あるいは変更する。

当日券も少数ながら出るらしいとの情報があり、並ぶのを覚悟で朝一で出かけた。が、発券場所である美術館は修復によりクローズド。もっと下調べしていけよ、といつものこと。また行けってこと? と(自分に)問いかけるのもいつものこと。

マルタは地中海の歴史をぎゅ~~~っと凝縮したような島で、紀元前5000年ともいわれる巨石神殿と、なんといっても聖ヨハネ騎士団がキリスト教世界の砦として築いた中世の歴史的建築物や街並みが見ごたえがある。

古くはフェニキア人、古代ローマ人、そしてアラブ人に支配され、続いてヨーロッパキリスト教世界となり、近代はナポレオンによる二年の支配ののち1964年までイギリス配下となる。英艦隊の拠点として第二次世界大戦まで戦略的に非常に重要な島だった。

街並みは完全にヨーロッパで、教会はバロックが多い。なのに町の名前はイムディーナ(Mdina)だったりする。アラビア語のメディナ、旧市街を意味する言葉からきているのだと思う。

料理は、見かけはイタリアン(シチリア料理)で、味つけはイングリッシュっぽいと感じた。結構楽しみにしていたのだが、一番気に入ったのは、バレッタの旧市街に入ってすぐ左手にあるリビア料理のファーストフード店だった。エジプトでも食べたファラフェル(そら豆のコロッケ)のセットが、安くて、ボリュームたっぷりで、美味しかった。いっそフィッシュ&チップスを試そうと思ったのだが、ちょうどよくスタンドに遭遇できず(バスの中から見つけても、用もない通りすがりの市街地じゃ降りるわけにもいかないし)。

海は最高にきれいで、人はのんびりと素朴で(ただしバレッタの老舗カフェ店員などはちと異なるが)、物価は安くて、選んだホテル二箇所も当たりで、これで料理の一人前が半量で、味付けがイタリアン、もしくはアラビックであったなら…。

と、リメイクとは全く関係のない話でした。リメイクも三着連れて行ったんだけどね。うちまだ記事にしてないのが二着、課題は撮影。マルタの写真もPCに保存したまま、整理どころかまともに見返してもいない。同行者用にセレクトしなければと思いつつ。

 

2 Responses

  1. ボニ

    マルタと言うと鷹と思う私は歳がバレる。しかし、聖ヨハネ騎士団時代の街並みって凄いデスね。是非写真を見たいです。

    • Ms K's

      コメントありがとう!!
      せっかく入れてくれたのにエラー状態で大変失礼いたしました。
      テーマ更新に伴う子テーマの不具合だったようで、最少の手直しで回復したもようでほっ。

      『マルタの鷹』。そうそう、私は読んでない(と思う)ので、事前資料として頭に浮かんだわ。でも騎士団もマルタも関係ないのよね、たしか、と却下。

      写真アップは少しお待ちください(また写真整理が苦手でさ)。

コメントする

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください