3月だったと思う。それとも別の年の5月だったかな。
那覇空港からタクシーに乗ったら、街路にハイビスカスが咲いていた。
さすが沖縄、もうハイビスカスが咲くんだね、とつぶやいたら、
ドライバーに、一年中咲いてますよ、と言われて二度びっくりした。
それでも夏の花というイメージに変わりはなかったのだが、それがこの秋完全にくつがえされた。
夏の終わりに、蕾がいくつかついた鉢を買った。近所のスーパーの店頭で格安で売られていたのだ。季節が過ぎた売れ残りなのだろう。
ハイビスカスになど興味はなかった。あの真っ赤な色も好きなわけではない。何故買ったのかというと、(蕾みたいに見える)しぼんだ花がらの色がしぶい枯れたようなピンクで、こんな色ならハイビスカスも良いかもしれないと、ふと思ってしまったのだ。
楽しみに開花を待って、なあんだ、とがっかりした。一日花というやつで、気付いたときには咲き終わっていて、最初の花は見られなかったのだ。朝の苦手な私は(朝顔同様)きれいに咲いている姿を拝むことはできないのか。
次の日、午後になってもまだ咲いていた。が、また、なあんだ、と思った。普通の、定番の、お約束のハイビスカスのあの赤じゃないか。知らなかった。しぼんだ花の(裏側の)色は、咲いた花びらの色ではないのだ。
けれども、元気に咲き続けるハイビスカスにはある種の見事さがあって、二度のがっかりにもかかわらず、水やりが楽しくなっていった。不思議なことに、その後のハイビスカスは一日でしぼまず、数日咲き続けてくれる。そんなにがっかりしないでよ、ほら、私も二三日頑張るからさ、ということなのだろうか。けなげだ。
ラベルに10月には室内に入れろ、とあったので、残暑が終われば花も終わるのだろう、と思っていた。彼岸を過ぎた。まだ次々と咲きつづけていた。10月になった。変わらず。そして11月になってしまった。花は咲いてはしぼみ、花がらはひっそりと落ちて、そしてまた蕾がふくらんでいる。
花の終わりが部屋に取り込む目安と(勝手に)思っていたので、冷たくなってきた風に花びらが少し寒そうにしているのを見ながら、どうしたものかとタイミングを計っている。
初めてハイビスカスをベランダに迎え、一つの疑問が浮かんだ。この花がらを干せばハイビスカスティーになるのかしら。エジプトで買った、黒に近い色のカラカラの花がら状のハイビスカスティー。
試しに落ちた花がらを干してみた。いくら干しても細長いままで、記憶にある丸っこい蕾のような形状にはならない。エジプトのハイビスカスが違うのか、はたまたエジプトの太陽だとあのように短く干上がってしまうのか。
調べたらお茶にするのは観賞用のハイビスカスとは別の品種で、同じアオイ科の『ローゼル(Hibiscus sabdariffa)』というものらしい。しかもお茶になるのは花ではなく、赤いガクの部分だという。知らなかった。
お茶にならないとわかっても、相変わらずハイビスカスの花柄を干している。はらはらと花弁が散るのではなく、律儀にくるくると元に戻るように花が閉じて、閉じたまんなかにてんてんとおしべが覗いて、時間と共に枯れたピンクが枯れた紫に変色していくハイビスカス(の花がら)は、かさかさと音を立てる手触りといい、秋にふさわしい花(がら)のような気がする。
咲き終わってすぐはくすんだピンク、だんだん紫が濃くなり、最後は白っぽいくすんだ紫になる
真ん中の写真、黒っぽい物体がエジプト産ハイビスカスティー(もっと立派な形状だったのに、どんどん型崩れしてよくわからないシロモノになってしまった)
この花柄のような色の羽織りカーデガン風ブラウスジャケットをつくったのだけれど、アップできないままでいる。柔らかい綿で、着心地抜群。なんとかお披露目だけはしてあげたい。
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