着物~ビンテージキモノ
~Kimono Remake
若いころにハマった着物、いつしか遠ざかってしまった着物、ビンテージ(アンティーク)キモノの面白さに、プロにワンピースやアロハシャツを仕立ててもらったこともあった。それもまた遠い昔のこと。
そんな忘れていたキモノリメイク熱が、ある日突然一枚の浴衣地で復活した。このたびはオリジナル&ハンドメイドでチャレンジ。一部簡単レシピも公開。[本文を読む…]
Open宣言:浴衣から始めよう
- 10/22 2017
染め直した羽織からK’sドルーマンTブラウス
しばらく前、妹からのリクエストで、 ドルーマンTブラウスを縫った。 源氏香模様のブラウスと同じ作り方で、ちゃっちゃっちゃと夕食後に完成。 元は母の羽織である。 おまけにリボンスカーフも作成。リボンに結んでピンバッジでとめてみた。スカーフにもなる。そではゴムで絞っている。かわいいし、余分なひらひらがないぶん、邪魔にもならない。 この羽織、ほどいてみたら、他の着物と何かが違う。柔らかな筆使いで色を重ねたようなモダンな染め。縫い合わせてある部分の柄がぴったり合っている。ほどくと縫い代だけ染めがない。ということは、不要なほどきはせず、縫い合わせたまま染めているということ。つまり染め直したものなのだ。 そういえば昔、染屋さんが家に来たことがあった。母は、ほどいた着物の染め直しを頼んでいた。たとえば、私が七五三に着た着物を成人用に、とか。着物地はそれに耐える強靭さがあるってこと。日本以外で生地を染直しするところってあるのだろうか?! たぶん、無いと思う。これ、究極のリメイクじゃん…。 - 10/19 2017
シルクの季節は泥大島から — プロのリメイクをリメイク…
綿麻の季節が終わり、いきなりシルク・ウールの季節となった。 20数年前、プロにマタニティー用に縫ってもらった泥大島のロングワンピースが。 お腹が元に戻って、身幅を直してもらった。 このたびのフィーバーで昔の着物リメイクを引っ張り出してみたのだが、 この泥大島が悲しいことになったいた。 点々としみのようなものがある。洗ってみたら一部白っぽい水玉模様になった。カビであった。ちゃんと洗って保管してたのに。でもずいぶん長いことしまいっぱなしだったからなあ。調べてみたら大島は糊が残っていたりして、カビが生えやすいという。メンテナンスは苦手だけれど、しっかりと着ていればその都度洗濯をするし、こんなことにはならなかったはず。 教訓:着物リメイクはちゃんと着てあげること! カビの部分は色がすっかり抜け、布の力も弱くなっている。ここに手持ちの泥大島を張り付けることを思い立った。楽勝と思いきや、一日仕事になってしまった。 ぞろぞろと長い丈を詰めるべく裾部分をカット。前あきのチュニックにリメイクするべくあちこちほどくも…、プロの丁寧な縫いが立ちはだかる。ミシンできっちりコバステッチをかけた洋服というのは、実にほどきにくい。加えて予想外だったのは大島の扱いにくさ。柔らかくなった絹は綿麻のようにはいかず、縫いテクに難ありは神経を使う。 とはいえ、なんとか思うようになったのはやれやれであった。 もうひとつプロ仕事に対して思ったこと。これは私も悪いのだが、このブラウスがイマイチ着にくい。袖山が高すぎて、腕を動かす時に若干負荷を感じるのだ。腕をおろしたままじっと動かさなければラインはきれい。でもそれで着心地が損なわれるのはいただけない。仮縫いでそこを指摘しなければいけなかった。あの頃の私はこういったことがよく解っていなかった。 この度もう少し情熱と根性があれば、袖山を低くカットしなおしてリメイクしたかったけれど、きらいな袖縫いであることからも断念。 それより気持ちは、(この作業でインスパイアされてか)プロジェクトにあげている泥大島に移ってしまった。やっぱりゼロから自分の好きなように形を作りたい。こちらの泥大島、つぎはぎだらけのくたくたなれど、模様はさらなり、光沢も素晴らしい。これほど継いだりはいだりするくらい大事にされた、その思いを受け継ぐような一枚を作りたい。と、それなりに頑張った話は別記事で…。 - 10/16 2017
ノーベル賞の旗
日本の職人ワザは世界でもトップレベル。 着物の織りもしかり。 でもそれがこんなところで、こんなふうに評価され、晴れの舞台を飾っていたとは…。 年に一度のその日が、今年ももうすぐやってくる。 TVで流れるかなあ。楽しみにしているのだけれど、どうも流れないような気がする。 ノーベル賞受賞晩餐会、スウェーデン王立工科大学の学生自治会の学生が掲げて行進し、その後会場に飾られるという黄金色の旗。 この旗が日本で織られたということを友人から聞いた。たまたま見たTV番組で、この旗を織った山形の米沢織が紹介されていたのだという。なんとこの織物会社が、彼女の実家と姻戚関係にある織り屋さんであった。 いきさつというのがまたすごくて、間にはスウェーデンの染織研究家と、彼女に師事した日本の織物作家がいた。 「学生自治会の旗」は1903年、当時のスウェーデン国王が自治会に寄付した由緒ある旗。やまぶき色の絹織物で作られており幅1メートル、長さ2メートルほど。ノーベル賞の晩さん会などの公的行事の際、学生たちが旗を持って行進し、会場に飾る。 製作から100年以上が経過し、老朽化が著しくなったため、王立工科大と同国のボロース大が共同プロジェクトを組み、復元作業に当たっていた。 米沢に生地製作の話があったのは、去年1月ごろ。ボロース大で古布復元の研究を続けているクリスティーナ女史からの依頼を受け、100年前と同じような絹織りの生地を探していた織物研究家の平沢エミ子さん(静岡県伊東市)が、先染め絹織物(糸を染めてから織った絹織物)の産地として実績がある米沢に白羽の矢を立てた。 依頼を受けた米沢側では、織物メーカーの老舗「嵐田絹織」の嵐田秀雄常務が中心となり、現地から送られてきた切手大の布片を頼りに、サンプルの分析から作業をスタート。米沢織に携わる撚糸(ねんし)、精練、染色、整理加工の各専門業者と協力し合い、わずか4カ月という短期間で、絹糸の種類が違う2種類の生地を織り上げた。 —Yonezawa.info(山形新聞 2006.12.15) 実際の制作は10年以上も前のこと。それをTV番組で取り上げたのがちょうど一年前、友人はその再放送を観たのだろう。悠長にめぐる時間も100年を超える旗の再生物語にふさわしい。 この話が気になっていて、なんとか映像を観たいと探したら Youtube に上がっていた。番組を見てあらためて驚いた。切手代のサンプルから再生するとひとくちに言うけれど、織物と言うのはまず糸を紡がなければいけない。調べた結果が野生の繭(野蚕)糸と判明、それに撚りをかけ、染め、ようやく織り機にかける。経糸の数1万4千本。米沢の5社が総結集してこそできた職人仕事なのであった。 旗はその後、刺繍のためにエジプト(!)に送られ、関わった職人さんたちは完成形を見ていなかった。そう、通常紡いだ人も織った人も、その完成形を見ることはない。けれども、時間と手間を惜しみなく注いだ素材は、さらに人の手によって姿を変え、そして最後に人の身にまとわれ、人の手に掲げられて初めて完成形となる。 スウェーデンと米沢をつないだ平沢エミ子さんのブログ記事にも、旗の写真と共に、いきさつが語られていた。 平沢さんが織った布が実に美しい。興味深いのは、平沢さんが唐織など絹織物の技法を学ぶ京都にたどりつくのが、スウェーデン経由だったことだ。 (クリスティーナ先生の下で)お墓で発見された中国の春秋戦国時代の模様織、シルクロードから出てきた唐の時代の織り方、、、沢山のテクニックを習いました。 (正倉院の絹織物の研究では)スエーデンでは絹はあまり使われておらず、先生の手元にも絹糸がなかったので、このサンプルの経糸は麻、緯糸はウールで織りました。 シルクロードが語っているように絹の文化は東洋から生まれました。自分がその日本の絹の文化を知らないのに気づき、その後私は、京都で伝統絹織物を学んだり、日本の絹織物の世界を走り回るようになったのです。 クリスティーナ先生が「もう日本にしか残っていないから学ぶように」と助言下さった、金箔紙を織りこむ技法も練習しました。日本には地域ごとに花開いた素晴らしい絹織物の文化がありました。 — 絹・スエーデンと日本の架け橋(Emiko’s Vegetable Haven 2016.10.17) この記事を読んで、一つの疑問が生まれた。100年前の旗はどこで織られたのだろう。最初はスウェーデンですべて作られたのかと思っていた。けれども、もしかしたら100年前も、中国か中央アジアか、どこか別の絹織物の盛んだった地域で織られ、刺繍の盛んな地に運ばれて加工されたのではないか。100年前も、遠く隔たった地域に高い技術の集積が求められたのではなかったか…。 旗の絹地を復元した織物会社は、昔は袴地を織っていたのだという。不況により高級な反物が売れなくなる上に、袴離れは着物離れより一層大きかっただろう。が、この会社、呉服から洋服地に転換をはかり、今は銀座あたりの高級紳士服(や婦人服)に優れた素材を提供している。一方、当時共に復元に取り組んだ撚糸屋さんと染屋さんは、その後廃業してしまったという。 技術は、求める人がいなくなれば失われてしまう。でも、別の形で生き延びたり、別のところに変転移転したり、復元されたりもする。京都で平沢さんが学んだ唐織も、元は中国や朝鮮半島渡来の織物の総称であり、後にそのなかのひとつの技法を日本(西陣など)で発展させたもの。糸を紡ぎ布を織るという行為は人類共通なんだもの、考えたらずっと昔から技法も文様も、グローバルに行ったり来たりしていたのだ。 p.s. ところで、唐織ってなんだ? と書きながら湧いた疑問。着物にハマっていたくせにほとんど着物のことを知らない。付け焼刃だったものはとっくに剥がれ落ちている。でも、知らなかったことを新たに知るのはとても楽しい。 西陣の帯などの、あのふっくらと横糸が刺繍のように盛り上がっているやつ、あれが唐織だった。そういえば何枚か箪笥にある。明治以降ジャカード織機が導入され、それで普及版として多く織られるようになったという。おかげで、我が箪笥にも収まることが出来たという次第。 唐織について 唐織の妙 西陣織の品種 - 10/13 2017
季節を問わずお気に入り — カーデガンみたいなはおりジャケット
今夏縫ったジャケット二枚目。 「麻の縮みがポロシャツみたいになった不思議」と同じ麻の絣。 形は袖の長さ以外「出番多し、七分袖のはおりジャケット」と全く同じだけれど、 この縮み生地はニットのような風合いがあって、柔らかいラインとなる。 8、9月と同布のフレンチスリーブチュニックとのセットで大活躍であったが、 10月になっても日中夏が戻ってきたような日もあって、なかなか片づけられない。 適度な温度調節用に、ふわっとしたカーディガン風はおりものとして、 もしかしたら長期間着続けるかもしれない。 着物のままであったなら、麻はせいぜい9月半ばまでしか着ない。10月になったら袷である。絹地の裏付の着物なんて、まだまだ汗ばむこの季節に着る気になどならないのだが、着物でこの季節に単衣の麻を着ていたらものすごく浮く。こういったところも、着物が現代の日常感覚と大きくかけ離れてしまっていることのひとつだろう。 現実に合わせて変えることのできないもの、それを伝統と言うのかもしれないけれど、実際の気候気温ではなく、カレンダーの季節とのマッチングのほうが優先されるのは、良く考えたらどこかおかしい。 もともとは季節に対する繊細な感受性や、粋(いき)という日本の美意識が根っこにあってのことだとしても、これでは着物はもはや、しきたりや決まりごとの枠からはみ出すことのできない、一個の行事だ。たぶん江戸の人が今の日本に来たら、昨日までの気温じゃ平気でまだ麻の単衣を着るんじゃないか。つまり、着物が日常に必要な「着るもの」だったとしたら。 話しは変わるけれど、記事と並行してジャケットの写真を取りながら、写真撮影の難しさをしみじみと実感した。壁にハンガーばかりでは撮るほうも飽きてくる。デザインによっては服のラインがきれいに出ない。着物リメイク販売サイトやそれなりに力が入っているサイトでは、みなボディに着せている。 私みたいな縫い方、つまり既存の型紙を使わず、実際体に当てて微調整しながら縫うような縫い方をするには、本当はボディがあったほうが良い。でもなあ…。その昔洋裁をやっていた先輩からボディを譲り受けたことがあった。普段はただ邪魔なだけで、いつ処分したか記憶はないが、置いておいたのはほんの短期間だった。それに、場所を取るのに加えて、あのフォルムがあまり美しくない。 段ボールで自作しようかとも考えた。が、そんなことが出来るだろうか。粘土細工のウサギさえものすごく下手くそであったこの私が(小学生のころのはなし)。 と、手元にボディに似た形をしたものが目に留まった。ちょっと新聞紙を丸めてガムテープでくっつけ、立体感を出してみたりして。それでも平面的であるのはアイロン台だからである。が、これなら場所はとらないし、当面これで行けばいいか…。 もう一つ難しいのが家の中で撮るにふさわしい場所がないということ。某サイトでは海をバックにボディを置いていたし、素敵な蔵の前で撮影しているサイトもあった。が、がんばってどこか景色の良いところまで出かけて行ったとしても、ハンガーとアイロン台ではどうしたって絵にならない。写真が課題と最初から思ってはいたけれど、ずっと課題のまま行きそうである。 - 10/05 2017
くるみボタンのピンバッジとボタンばなし
くるみボタン+ピンズ(ピンバッジ)のパーツセット10個724円が届いた。 さっそくはおりジャケットの友布でつくってみた。 所要時間3分、もかからなかったかも! 購入先は楽天のクラフトモンキーというお店。くるみぼたんや缶バッジ、クラフト材料なんかを扱っている。 くるみぼたんは、外側(表)パーツと内側(裏)パーツに分かれていて、表パーツを布でくるんで裏パーツで押さえる。サイズごとに専用の打ち具というのが必要で、これも同時に購入。113円。 ピンズ用は、ボタンの裏側に糸で縫いつけるための足がない。このフラットな裏面に画びょうのようなピンをグルードットという接着パーツで張り付ける。ほんと、あっというまに完成である。 金属パーツはチープ感あふれるアルミだけれど、とっても軽い。ピンの台はラバーで、これもプラス評価。留め具も軽い。気になったのは、ピンのささり具合。手持ちのものより若干太いような気がするのは、刺さるときの布地に抵抗感があるから。ピン先のとがり具合の問題か? 布地を痛めるんじゃないかと、ちょっと気になった。 でも、見た感じはGOOOOD! ベルトをリボンに結ぶと、目立つ金色ピンバッジより落ち着いて見える。 ボタンばなし 洋服のデザインで、ボタンの果たす役割はすこぶる大きい。と思うのだが、二年前にコートを仕立てた際、近所の手芸材料店ボタンコーナーにぴったりくるものがなく、迷った末に、まあこれでいいか的に選ばざるを得なかった。 着物リメイクをプロにお願いした際も、ボタンをおまかせで頼むとイマイチ気に入らないことが多かった。ボタン自体はおしゃれで高級感があっても、なんかおばさんくさいなあ、とか。けれども、自分で選ぼうにも手芸店のあの選択肢の無さでは選びようがない。 そういえば昔はボタン専門店というのがあった。ちょっとしたアクセサリーも置いていて、モードな雰囲気が漂っていた。知らぬ間に、店そのものが街角から消えていた。 先日、ルーシー・リーというイギリスの陶芸家がボタンも作っていたことを初めて知った。その昔、アンティーク着物やその他もろもろで親しくしていた骨董ギャラリーカフェ店主、着物リメイクで思い出したのを機に久しぶりに訪ねたら、もうカフェもギャラリーもやめていて、美術品や骨董のオークション売買をなりわいにしていた。 その彼が、つい最近リーのボタンを落としたので、仕入れにまとまった金が必要だという。額を聞いてびっくりしたのだが、リーの作品集のボタンの写真にもびっくりした。もうそのまんまアクセサリーのクオリティーもあれば、身近に使うに適した美しさと味わいのあるものある。1940年代、金属ボタンが不足する戦時下の10年間、生計のためにリーはボタンを焼いた。亡くなった後、そのうち600個余りが友人である三宅一生に送られたのだという。 ルーシー・リーのバイオグラフィー ボタンの写真あり そんな話を、姜尚中がやっていたころの日曜美術館が取り上げていて、ネットで観た。すごいなあと思ったのは、三宅一生が彼女のボタンを使って作ったという生成り白のジャケット。少しいびつな、ぼってりとした白の色のボタンがでかい! そう、ボタンは大きさも大事だ(概して日本のボタン使いは小ぶりで、バランスが悪かったりする)。 このでかさに拮抗するデザイン力のすごさ。リーの陶器に感じられる和のテイストと、三宅一生持ち味の和洋のテイストが実にマッチしていた。シャープなのに暖かい、融通無碍の着物をほうふつさせるゆとり。空気をはらんだデザイン、というようなことを番組内で言っていた。 思い出すのは数年前、サルデーニャのカリアリのホテルの向かいにあったハンドメイドのブティック。並べられていた服のデザインも素晴らしかったけれど、感服したのはインパクトのあるボタン。ああ、こういうボタンが日本にはないのよね、とため息が出た。あの店にもう一度行きたい…。 イタリアのボタン使いでもうひとつ思い出した。シャツブラウスのボタンの位置である。台衿のあるYシャツタイプは、スーツのインにもするし、誰もが何枚か持っているはず。で、たいていきっちりと第一ボタンを留めたりはせず、たぶん第三ボタンまではずして着用してるんじゃないだろうか。 この第三ボタンの位置が、日本製とイタリア製では数センチイタリアが低い。つまりアキが深いのである。イタリアでは女も男もセクシーである(に見せる)ことが高評価ではあるけれど、それ以上に全体のバランスを重視しているような気がする。一番きれいに、一番カッコ良く見えるバランス。イタリアは色使いも素晴らしいが、それ以上に脱帽するのは、こういうボタンの大きさや位置にまで及ぶ、細部まで貫徹した美的バランス感覚だったりする。 - 10/04 2017
透け感のあるお出かけ用 — k’s かぶり T ブラウス完成形
素材は麻の絽の絣。 絽は着物では夏しか着ないけれど、ブラウスになると着用期間がぐっと広くなる。 適度な透け感がエレガントで、おしゃれなレストランなんかに着ていきたい。 が、おしゃれなレストランにはいつ行けるかわからないので、 先日近所の居酒屋に着て行った。 帰宅時はこれ一枚では涼しすぎるくらい気温が下がっていたので、はおりジャケットとあわせた。衿のラインが同じで、かつ薄いので、衿を重ねて着用したらまるであつらえたような一体感。って、まったく同じカッティングで縫ってるんだからあたりまえである。ずぼら作業にもメリットはあると。 来歴は、随分昔に夫の母が進呈してくれたもの。当時はミシンべたがハンドメイド普段着にするのがはばかられ、プロにアロハに仕立ててもらった。たぶん20年以上前じゃないかな。結構着倒したけれど、まだまだ元気に生き延びている。と、このたびのフィーバーで屋根裏にお蔵入りしていた不要布地箱をあさったら、残り布が見つかった。少しくたびれたアロハと違い、ピンシャンつやつやのお肌である。これを棺桶のような箱に眠らせておくのは罪のような気さえして、満を持してかぶりTにチャレンジしてみた。 これが今夏12着縫った最後の一枚。最初の一枚である浴衣Tブラウスとラインは同じ。なれど、細部に微妙な工夫がある。同じかぶりTでも一着縫うごとに微調整していたのだが、たぶんこれが完成形だと思う。 一番大きな違いは、肩部分に縦にダーツをとっていること。 前身頃から袖を一枚で真っ直ぐ横使いすると、どうしても袖から脇にかけて余分なしわが出る。柔らかい浴衣地では気にならないし、それをドレープとしてデザインにしてしまえる源氏香模様ブラウスなどはいいのだが、こんなはりのある、かつしわになりやすい生地だと少しつらい。この問題を、袖山をつけて裁断する洋服方式に逃げるのではなく、どうすれば解消できるのか。私なりに考えた結論がこの肩ダーツである。 布地が薄いため、ダーツもほとんど気にならない。ダーツは巾5センチ(をつまむと2.5センチ)長さ13センチを身ごろ側に倒している。加えて、写真ではわかりにくいが、肩から首にかけて細長く三角に布を挟み込んでみた。これにより、身ごろ上部は肩の下がりに沿い、袖は肩から腕の落ちに沿ったラインとなり、気になる不自然なしわはなくなった。もちろん、着心地も向上。 ダーツをどの位置にどれくらい取るかは、実際に体に沿わせてみて、しわが出る部分とどれくらいつまめばいいかを確認した。肩幅と肩の下がり角度は皆それぞれなので、最初基本のかぶりTを縫ってみて(柔らかくなった浴衣地推奨)その加減を見ながら二枚目あたりで調整するのが良いと思う。